女性は産む機械?
 みなさん、こんばんは。はぴしあです。

 今世間で騒がれているのは柳沢厚生労働相の「女性は産む機械」発言ですね。野党の女性議員たちが怒りの声を上げ、辞任を要求しています。野党は結束して柳沢厚労相の辞任を求め、辞任するまで予算審議に出席しないのだとか。

 このニュースを聞いて、考えるのはつくづく面倒くさいことをやっているのだなということ。

 厚労相の立場に立って考えてみると、本当に女性を蔑視する意図があっての発言ではなく、単純なたとえ話に過ぎない。なぜここまで怒られるのか理解に苦しむと言ったところではないでしょうか。本当に蔑視していたのかとか差別意識があったのかはともかくのところ、そこまで大事になるとの認識もなかったからあのような発言をされたのでしょう。お気の毒と思う反面、想像力が欠けているという点で愚かにも思えます。

 一方、怒ってらっしゃる女性議員の方々。どういう価値観があって、あそこまで怒っていらっしゃるのかはよくわかりません。これは僕が男性に生まれたからでしょうか。
 そりゃ言葉の選択はまずかったかもしれませんが、単なる例え話です。そういう例えを出すこと自体が女性差別意識の表れだという主張なのだと思いますけども、深層心理のことなんてわかりませんよね。言葉尻だけ捕まえているように思えて、程度が低いような気もします。
 あと、疑問に思うのはもし「女性は産む装置」発言が女性閣僚などの口から出ていたのならどういう行動をしていたのであろうかということです。もちろん、仮定の話に過ぎないのですが、僕には単なる例え話に聞こえる以上、女性の口から発せられる可能性もゼロとは言えないような気がするのです。

 それから審議を拒否するとかいう野党の方々。おそらく本気で問題発言であると憤っている男性議員の人なんてそんなにいないでしょう。なんとなく女性議員たちが怒っているし、女性有権者も怒っているのかもしれないし、与党を攻めるのにいいチャンスだから一緒に怒っておこうとかいう感じなんじゃないでしょうか。だって、あのくらいの発言なら野党男性議員だってポロッとしかねませんよ。
 それに審議拒否なんかして、効果があるならいいんですけど、ないならほんと無駄な気がします。毎回毎回審議拒否とかでなく、もう少し有効なことをしてもらいたい。まあそれほど期待できませんが。

 なんかバラバラと書いてしまいました。せっかくだからゲイの視点でもう一つだけ。

 女性蔑視発言に対して怒ってくれる人はたくさんおりますけれど、ゲイ・ホモ・レズ蔑視発言に対して怒ってくれる人はいないのでしょうか。あ、議員の方で。
 女性差別発言なんていまどきほとんど見ませんが、同性愛者差別発言は日常的に耳にします。それこそメディア上だけでなく、日常生活の中でもいやというほど。
 「女性は産む機械」が何だっていうんだ。ゲイが日ごろなんていわれてるのか知ってるのか。
 なんか書いてるうちに少し怒りを覚えてしまいました。

 まあ早いうちに柳沢さんが辞めて、世の中から差別意識がなくなっていくことを望みます、ということで。
【2007/01/31 22:00】 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
時の流れに身を任せ
 みなさん、こんにちは。はぴしあです。

 最近、本当に時間が経つのが早いです。一週間前の週末に一緒にご飯食べた同僚と昨日、またご飯を食べたんですが、お互い口を揃えて「もう、あれから一週間経ったんやねー。めっちゃ早くない!?」なんて驚いています。
 働き始めてから本当に時間が経つのが早いです。平日なんか仕事でいっぱいいっぱい。たまに溜まった家事とかするくらいで、テレビなんか全然見なくなりましたし、本を少し読むくらいです。平日ってのは本当に仕事のための日になりつつあります。
 そのせいか、一週間の仕事の終わりの日はもの凄い開放感で、自然と笑みがこぼれてしまうほどです。特に何か楽しみにしているイベントがあるわけでもないのに1、2日自由に過ごせる時間が始まると思うと何か幸せな気持ちになってしまうのです。

 考えてみると、週末になっただけで幸せを感じられるのは僕が幸せだという証拠だとは思います。ただ、逆に言えば仕事をやっているときの僕は不幸せということなんですよね。仕事が楽しいんであれば平日も楽しいわけだから週末の喜びというものの相対的価値は下がるわけです。
 これって幸せなんでしょうかね。これから先、同じ仕事を続けていくかどうかはわかりませんが、何らかの仕事をする必要があるわけです。今の仕事が僕に特に向いていないと感じているわけではないので、何らかの大きな問題でもない限りはやめるつもりはありません。ありませんが、ひょっとしたら他に喜びを感じやすい仕事もあるのかなぁ、なんて思ったりもします。
 仕事で幸せを感じられている人が世の中にどの程度いるのかはわかりませんが、できるなら感じていたいものですよね。
【2007/01/27 15:24】 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
"親孝行"な僕
 みなさん、こんばんは。はぴしあです。

 いきなりですが、同期の間では割と僕は親孝行な人間で通っています。仕送りをしているとかいうわけではありませんが、ボーナスのときには何かを贈っているし(大した額ではありませんが)、よく実家に帰って顔を見せています。初給料の日にも何かを贈ったし、家で何か欲しいもの(生活必需品というよりは贅沢品とか嗜好品)があれば買ったりしています。
 そりゃ上を見ればキリがないですけども、僕の周りでは親孝行な方なんです。

 できれば仕送りとかしてあげたいなと思うんですが(まだ家のローンがたっぷり残っていますので)、僕のほうも借金(奨学金)がだいぶありますんで迷惑をかけないためにもこちらを先に返したいんです。だから、仕送りはしてません。奨学金を返し終わったら少しずつでも無理のない範囲で仕送りをしていきたいなと思います。

 さて、なんで僕がこんな風に親孝行をしようと努めているかと申しますといろいろ訳があるんですけども、まあ一番単純な理由は「申し訳ない」からなんです。
 実家は正直貧乏な部類に入ります。そういうことで心の中で親を責めた時代もありましたけども、今はそういう気持ちはありません。今も実家の生活はそれほど楽でもないんです。多分。何でもかんでも切り詰めて生活してるとは言いませんけど、ほんと贅沢はしてないです。
 こんなことを言うのもなんですが、「僕がいなければ」もう少し親は楽できたのかもしれないなって思ってしまうわけです。正直、親の気持ちを考えてみれば間違いなく、「たとえそうだったしても、お前(僕)がいなければ良かったなんて思うわけがない」って言うと思うんです。だって、両親は僕を愛してくれていますから。

 でも、そうは思いますけど人を一人育てるっていうのは肉体的にも精神的にも大変ですが、やはり金銭的にも大変なことですよね。僕もまだ働き始めたばかりで大した仕事はできていませんが、それはわかります。親も苦労して僕を育ててくれたんだなと思うと同時に、僕にかけたお金の分、贅沢とかを我慢してきたのかもしれない、余計の苦労をしてきたのかもしれないと思うわけです。

 まあここまで書いてみて思うんですが、本当に当たり前のことですよね。うちが貧乏だったからとかそういうこと関係なく、親はきっと苦労してます。働くって大変なことです。
 早かれ遅かれみんなそういうことに気がつくんだろうなぁと思いますけど、僕は最近気がつき始めたので出来る範囲で、無理のない範囲で行動しています。親孝行をしすぎることはないって言いますけど、あんまり無理してやっても親は素直に喜べないでしょうからね。
【2007/01/21 23:03】 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
友達でいてほしい
 みなさん、こんばんは。はぴしあです。

 最近、昔付き合っていたゲイ友達が彼氏と別れたという話を聞きました。僕は今もそれなりにその友人のことを好きではあるんですが、昔ほどの情熱はない感じです。それでも出会いもない僕なわけだし、もしそっちに少しでもそんな気があるのだとしたらアタックしてみるのもいいかもしれないなんて打算的な考え方が浮かんでいました。

 それが先日、別のゲイ友達(Aくんとします)とお茶を飲んでいたときにふと思ったんです。

 ちなみにAくんは大体1週間に1回ぐらいお茶を飲んだりするぐらいの友達です。実質的に週末遊ぶようなゲイ友達はこのAくんしか僕にはいません。
 このAくんも僕も彼氏がいないわけです。だから割と毎週会えるのかもしれません。でももしこれでどちらかに彼氏ができたなら、ひょっとすると毎週は無理になるのかも。月に2回程度になるのかもしれないと思いました。
 僕にとってはゲイ友達として大切なAくんですから、それは困るような気がするわけです。やっぱり彼氏も大事だけど、友達も大事ですよね。彼氏と別れたときに慰めてくれるとしたらそれは友達しかいないわけですから。

 そんなことを考えていると、元彼にアタックをかけてみるのも何か違う気がしてきました。
 昔と比べて好きという気持ちの種類が変わってきているんだと思いますし、おそらくアタックをしても無理な感じです。それに変に付き合うことになって別れた場合、今度こそなんかだめになってしまいそうな気もするわけです。なんとなく。

 それほどの情熱もないのに中途半端にアタックして友人をなくしたくはない、というか、これからも大事にしていきたい友達でいてほしいなと思う所存なわけです。
 というわけで、どっか出会いはないものか。
【2007/01/14 21:52】 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
会社で生き残る!
 みなさん、おはようございます。はぴしあです。

 非エロ系ゲイ雑誌といえば日本ではyesです。季刊ではありますけども、企業広告が載っているという点でも唯一の存在だと思います。それはそれとして、もう一つ雑誌ではないかもしれませんがQJr(クィア・ジャパン・リターンズ)というものも出ています。非エロ系の本で、不定期に出てまして、現在3冊目です。

 最近その3冊目のQJr vol.2を購入しました。テーマは「生き残る」。
 まだ少ししか読んでいないのですが、軽く感想でも書いてみたいと思います。

 巻頭から13人のいろんな立場のゲイたちに「会社で生き残る!」をテーマにインタビューをした記事が載っています。職業もバラバラ、年齢も31〜51まで、地域もバラバラです。インタビュー記事は一人当たり3ページほどあり、字が小さいので結構読み応えがあります。
 各人の今までのゲイ歴、および職歴、そして職場などでのゲイとしての振る舞いなどが綴られています。

 ゲイの生活を垣間見ると言う意味ではゲイブログを覗いているといろいろわかるところもあります。どういうことに興味を持って日々の生活を送っているのかということがわかります。
 ですが、どういう仕事をしているのかということまで書く人はあまりいませんよね。ばれるばれないだとか、読んでいる人との人間関係もあったりなんかしていろいろ言わないことも多いんだと思います。たとえば収入だとか、職場の人間関係だとか。この本のインタビューではそういうことについても触れられています。
 僕からすると5年先〜25年先の未来だったりするかもしれないわけです。

 また、ゲイであることによる苦労の話ももちろんあるのですが、ゲイの立場から見たノンケの人生というものも見えてきます。ゲイだからしんどいということもあるけれど、ノンケだからといって楽ということはないということです。当たり前ですけどね。
 結婚して子どもがいるノンケに関しては小遣いだとか時間だとかで制約を受ける面が多く、責任も増えます。一方、ゲイはそういう意味では比較的自由である場合が多いでしょうけども、親などの心配を取り除くだとか職場での結婚圧力などにさらされたり、これから一生一人で生きていかなければならないのかもしれないという不安にさらされ続ける人もあります。

 インタビューを受けている方の中には彼氏がいる人が多く、同居をしている場合もありました。純粋にうらやましく思い、僕もそういう人と出会えるだろうか、そしておそらく親や同僚などにばれる可能性が高くなるであろう「同棲」という選択をとることができるだろうか、などなどいろいろと考えてしまいます。

 中でもやはり人間が生きていくうえで欠かせない「お金」。金だけが頼りではなくて、もちろん自分のことを理解してくれている友達が必要なのは確かです。それでも、お金は大切です。
 マンションを買う人、賃貸で済ます人、貯金する人、投資する人いろいろいますけども、人生設計というものも考えていかないといけないなぁと思います。

 みなさんも「生き残って」いきましょう!
 考えるきっかけとしてこの本はそれなりにオススメかもしれません。まだちょーっとしか読んでませんけど。
【2007/01/11 07:26】 | ゲイアイテム紹介 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
楽しみがない
 みなさん、こんばんは。はぴしあです。日記です。

 今日は冬期休暇最後の一日ということで、実家からこっちに戻ってきている。仕事を始める心の準備でもしようかと思っていたけれど、特にすることがなかったりする。とりあえず借りてきたDVDを見て泣いた。映画を見るのも、泣くのもどちらも気分転換とかストレス発散に良い。これである程度スッキリするはずだった。

 午後は軽く買い物に出かけるつもりだったが、軽く一眠りする。寒くなっているから布団が心地よい。ついついだらだらし過ぎてしまって出かけて昼ごはんを食べるには遅い時間になってしまった。それでも部屋には何もないもんだから梅田まで出かけた。片道30分ぐらいかかる。

 梅田に行ってカフェで本を読みながらランチというのをしたかった。だから、まず大きな本屋に行った。カフェで読む本はどういう本がいいのだろう。わざわざカフェで本を読もうと思ったことがないから少し本屋までの道のりに考えていた。小説がいいかな。海外のゲイ雑誌があれば読んでみたいな。あるいはビジネス関係の本かな。

 いろいろ考えて気分転換になりそうで、楽しい午後になる本を選びたかった。でも、結局ビジネス関係の本を買ってしまった。仕事がうまくいかないのはやっぱり僕に問題があるわけで、それを解決しなければ憂鬱な気分は晴れない。結局そういう現実的な本をカフェで読むことになってしまった。現実逃避しきれないな、なかなか。

 3時前の遅いランチ。カフェに一時間以上居座って、図解だらけのビジネス書籍を半分ぐらい読む。なるほど、なるほど、考え方はわかる。ただ、今僕が実践できるかというと怪しい。どこに答えがあるのだろうと考えると少し泣きたくなる。深く考えすぎる必要なんてないんだと思うけれど、前に進まなければいつまでも霧の中で苦しむことになりそうで困ってしまう。

 せっかくの最後の休日。残りは何か楽しいことをして過ごしたい。
 買い物…、は最近しすぎた感がある。まだ袖を通していない服がいくつもある。福袋の産物だ。電化製品とかも別に今欲しいものはない。だから電器屋とかいってもきっとつまらない。思いついたのはゲイ漫画。でも駄目だ。やっぱりこの穴は埋められない。漫画喫茶に行っても読みたい本があるわけでもないし、今更誰か誘って飯いく気分でもない。
 楽しいことがみつからない。

 今年の初詣では願い事を一つに絞った。
 さい銭をいれてから三つぐらい願い事が浮かんだ。仕事がうまくいきますように、家族全員が健康で幸せでいられますように、良い出会いがありますように。全部願っても良かったし、一つ選ぶんであれば家内安全を選ぶべきだったんだと思う。でも、一つの気持ちがとても強かったから一つだけにした。
 願ったこと。
 「男・男・男」。

 なんでだろう。彼氏ができれば全て上手くいくわけでもないのに。でも、何かが変わるような気がしたんだよね。彼氏がいれば。

 電車に乗って部屋まで戻る。車中、部屋に戻ったら何をしようか考えていた。自分の現状を分析してみることにした。そして今部屋に戻り、この雑記を書いている。

 ランチの時に読んだ本には「うだうだ悩むより、現状の問題点を整理するとか論理的思考にのっとった行動をすべきだ」とあった。僕は一理あるなとも思ったし、現状を認識するのが怖いからうだうだ悩んでるんじゃないかとも思った。
 そう、僕は現実をみつめるのが怖かった。

 たとえば彼氏ができないのも結局のところ僕に魅力がなくて、出会おうとする努力も足りてないのが原因なのだ。わかっている。結局、魅力が足りない人間なら努力でそれを補わなければならないのにしてなかっただけの話。

 結局いろいろ分析してみれば責任はそりゃ自分にある。もちろん外部要因だってあるんだけど、僕だって大人だし、全部現状を外部要因の責任にするわけにはいかない。それに外部が悪いんだったらそういう環境を選んだのも僕の責任だし、悪いところは変えていくのも僕の責任になるわけだ。
 でもさー、そういうのって疲れるよね。僕みたいに割りとマジメな人間だとガチガチに縛られてしまう。だから、なるべくそういうこと見つめずに能天気に生きて行きたいわけ。

 なんか矛盾しているような気もする結論だ。真面目な僕が能天気に生きていくというのだから。
 結局、問題は解決しない。ただ、わかりきったことが言葉となってより鮮明にはなった。まあそのうち気がつかないうちに霧の中から抜け出ていることと思う。というより、願う。
【2007/01/08 18:28】 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
立体的にみーる!
 みなさん、明けましておめでとうございます。はぴしあです。

 ひとつのこと、例えば一枚の写真をみても人それぞれ感じることが違いますよね。あるいは違う時期に同じ写真を見たとしてもやっぱり感じることが違ったりします。小説だとか映画だとかでも同じで、見るときそのときで得られるもの、感じることが違ったりします。

 今日はNHK教育のドキュメンタリーを見ました。星野道夫さんっていう写真家の方のドキュメンタリーで、カリブーとかいう鹿っぽい群れの写真を撮るために長い間、吹雪いている山の中ひとりでテント生活などをしていたりしたそうです。(詳しいことは適当に調べてください)
 撮られた写真はものすごく神秘的で美しくて、少し感動しました。本も書いていらっしゃるらしくてその中の言葉も素晴らしかったです。日本、しかも割りと都会でコンピュータをいじくって生活している僕とはまったく違う視点、視野で世界が見えているんです。
 そういう考え方もあるんだ、そして、そういう考え方もできるんだと思いました。もちろん、環境がありますから僕が星野さんのような感じ方を毎日していたらきっと生活なんかできないでしょうし、仕事にもならないんだと思います。感じ方、考え方はそれぞれが今の立場で生きるためにはある程度、制限されます。
 星野さんはカリブーの群れの写真を撮るために何日もテントで待ったそうですが、今の僕がまずそういう話を聞いて思い浮かべたことはそういう生活の辛さというよりも、計画の妥当性でした。

 時間や費用面でのコストが大きいし、撮ることができないリスクが高く、安全面などでもリスクが高い。撮ることが出来たとしても社会的な名声は得られるかもしれないが、金銭的な見返りはさほど大きくないかもしれない。つまり、ハイリスク、ローリターン。計画は妥当とは言いがたく、「撮りたい」という気持ちで何とか自分(and家族など)を説得しなければ計画を実行に移すことは難しい。

 それが僕の感じたことでした。
 考えてみると今の僕の生活では計画を立てる際にはやはり妥当性を求められます。実行してから駄目でしたではまずいんです。だから、自分をその立場に置き換えてみるとそういうことを考えてしまうんです。
 学生のときなら計画の妥当性とかは考えなかったと思います。テントでずっとカリブーを待っているときの心境だとか、凍傷になったりしないのだろうかだとか、食料はどの程度用意していたのだろうか、だとかそういう点の方により興味がいっていたかもしれません。

 どういう感じ方をするのが正しいということがないのはわかっていますけども、計画の妥当性について考えるのは一社会人としては少なくとも間違いではない気がするんです。独断ですが。
 ただ、以前の感じ方は少なくとも今はできないんです。それが人間は変わっていくということなのかもしれません。
 仕事をやっていない時は完全に気持ちを切り替えることができれば変わらずに済みます。勝手に僕が(社会人風に考えなければならないという無意識のプレッシャーのような)変な荷物を背負い込んでしまっただけなのかもしれませんが。

 ただ、計画の妥当性を考えてみると、星野道夫さんという方の情熱、決断の重さというのが伝わってくる気がします。そのときに奥さんやお子さんがいたのかどうかは知りませんが、もし家族がいたのだとするとより成果を求める声(自分の中の、そして周りからの)は強かったはずです。
 「撮りたい」という情熱があったのはもちろんのこと、成功させる自信もあったんでしょうね。それを踏まえた上できっとその計画は「妥当なもの」となり、実行に移すことができて、そして成功したんです。

 いろいろ考えてみると僕の社会人としての甘さ、星野さんの「社会人」としての立派さ、あるいは「一人前っぷり」を感じます。

テーマ:今日見たテレビ番組 - ジャンル:テレビ・ラジオ

【2007/01/04 23:33】 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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